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JOURNAL #110

このガム噛みすぎた

目と耳と口を閉じ、
目の前のやるべきことに対処し、
時に静止して五感で感じた先に
ついにはある到達点に達した。

嘘である。

ブログ書いてないねって声が聞こえるようになったので
書きました。

別に書く気がない訳ではないのである。

ただ私は「取り入れる」「吐き出す」を
CDドライブほど器用にできないのである。
いやCDドライブも本職にも関わらず
そんに得意では無いんじゃないかと思うこともあるが。

とは言ってもこんな活動していると、
刺激が無い訳ではなくて、むしろ毎日小さな刺激に溢れているのですが、
それもわざわざ皆様にお伝えするほどのことでもなかったり、
商品販売上、公にはできないことだったりするため
なかなか書くに至らなかったことは事実である。

とはいいながら今はそうゆうタイミングなんだと
自身で気づくことにブログが一つの指針になるとは思ってもみなかった。

私達のブランドはコンセプト自体が、
自身達の能動性にゆだねられているので
ブログを書こうとしても書く気になれなかったり
伝えたいと思えなかったりするのは、
こちら側の問題であって、
結論から言うとフェーズを移行しなければならないタイミングだと
はっきり理解できた。

このガム噛みすぎたのである。

思えば私達は全員ガムを噛んでいるのである。

ガムはおいしい、飽きない、
さながら大人向けおしゃぶりである。

くちゃくちゃくちゃくちゃと
私達は「毎日」を噛んでいるのである。
(ちょっと比喩が汚くてすみません、、)

包み紙を空けて、
一噛みすると
口の中にフレーバーの刺激が広がって
美味しくて夢中になって噛むのである。

口の中に入れて一口目が
刺激との出会いである。

しかし噛んでいくうちに少しずつ味は落ち着いていく。
そしてついには味がしなくなってしまうのである。

皆さんもこんな体験したことあると思います。
凄く気に入った曲に巡り会って、
ついつい聞きすぎて、
終いには、あの初めて聞いた時の感動をもう一度と願っても
刺激の再来はついには訪れない。
そんな経験を。

しかしガムも曲も
こっから先がある種、現代病なのである。
そう、無意識の突入である。

先日、父からLINEが届いた。
なんだ珍しいとひらいて見ると、

(ポロン♪)
「お母さん」

(ポロン♪)
「寂しがっています」

私は三人兄弟の長男である。
全く長男の勤めを果たさないダメダメへっぽこ長男なのだが、
弟、妹の結婚に伴い、実家には
祖父母と両親だけになったことが原因だ。

美味しかったガムの味がしなくなったのである。

しかしながら今は、
「我、多忙にて候」と返した。

近々時間を見て帰ろうと思う。

しかし先に述べたように、
ここからが問題なのだ。

淋しいという感情があるうちが大事なのである。

その先に待っているのは
無意識の世界であり、不感症の世界であり、諦めの領域なのである。

そこまで長引かせることは良くないので
近々時間を見て帰ろうと思うのである。

感情の働く世界でのみ「刺激」を感じることができるのである。
感情を失うと新しいガムの包み紙を空けることは非常に困難だ。

だから淋しいと思ったり、なんであいつは帰ってこないんだー!と怒ったり、
そこ。新しいガムの開けどころ。

(とは言いつつも結構時間見つけて帰っているはずなんだけどなぁw)

私達も今、まさに新しいガムを開けるところである。
そうして新しい刺激を自身に与えて、そこからの副産物で
このブログを書いていくのである。

もし万が一皆さんがふと、
毎日の日常が水のように流れて、
歳をとっていくだけだと感じる瞬間があったなら、
胸に手を当ててみてほしい。
私達の心臓は動いている。
常に血液を押し出し、身体に刺激を与えている。
そうしなければ私達の体は停止してしまう。
そんな危うさと奇跡のバランスで私達は生物的に生きている。
でも楽しい毎日の暮らしとは
常に頭の中で噛んでいるガムの状態に
大きく左右されているのである。

新しいガムは用意してあるか。

今噛んでいるガムをぺっとやって、

新しいガム
くちゃくちゃやろうぜ。