WELD SUPPLY CO.
Journal #032

モノづくり?モノつくり?

ここ最近モノづくりについて深く考えさせられることが多かったので、
この休みに一人で国宝犬山城に行ってきました。
場所は実際どこでも良かったのですが、
私達の拠点から電車で10分もしない場所に室町時代の建物があるのなら
そこが一番考えるのに適しているからという理由でした。
なんか話が固くなりそうな予感です。。。
固くなります。。。
<<えっ…ここで勉強?>>
世はまさに「大モノづくり時代」であります。
このしきりに言われる「モノづくり」という言葉には
日本において2種類に分けられます。
そのうちの一つが企業活動としてのモノづくり。
これはいわゆる効率やコストを考慮した大量生産としてのモノづくりです。このように書くとネガティブな感じがしますが、
デザイナー有する企業は常に次の時代へ進歩するべくモノづくりをしています。
なぜデザイナーが必要とされたかというと
それまでの貧しい時代において人々にとって「必要なもの」を作れば良かったのが、
モノが溢れかえったことで、人々に「必要とされるもの」を創出しなければならなかったからです。
こうしたデザイナー有する企業活動としてのモノづくりのこれまでの過程には様々な芸術運動などを経て、作ること+考えること、
そして何より精神性をモノづくりに込める潮流がありました。
しかし日本ではなかなかいまいちな感じです。。。
高効率、低コスト、高利益。
こういったものが全面に出過ぎてしまっていた。
<<まって!?凄い勢いなんだけど…>>
これに相反するように今、盛り上がりをみせているのが
ローカルな手工芸としてのモノづくりです。
一つ一つ丁寧に作られ、他では買えない価値を持ったモノが日々人の手によって生み出されています。
私自身、量産品はどのお店に行っても同じものが並んでいてつまらないと感じていました。
このローカルな手工芸としてのモノづくりは、
これまでの時代にはないほどの多様性を見せています。
自由表現の時代にあって、誰もがモノづくりができ、それを販売し利益を得ることができます。
<<やばい人だ、絶対やばい人だ>>
この2つのモノづくりはどんどんとお互いを引き離しあっています。
客観的に見ていると買う人にとってはどっちも同じ「モノ」なんですけどね。
双方綱引き状態のように。これが本当に面白い。
じゃあ何がモノづくりを1mmでも前に押し進めるのでしょう。
と私達は考えています。
企業にはできないこと ← ☆ → 手工芸にはできないこと
そうして私達はデザイナーと作り手がユニットを組むことにしました。
この曖昧な立ち位置が許されるのかは分かりませんが、
私達においてこの関係性は非常に心地のいいものでした。
私達はモノをデザイン・設計し、
一つ一つ丁寧に手で仕上げ、
効率的でありながら、ゆらぎをもって
人々にとって作りが良く、安全で、
何より使う人がステータスを得ることのできるモノづくりを
唯一の行動原理にしたいと考えています。
それは0.1mmかもしれないけどエトスの向上につながる
小さな進歩だと信じています。
<<どうした?何かあった?>>
なかなか固くなりました。。。
が私は頭の中をぞうきん絞りしたかのように晴れやかであります。
自己満足失礼しました。。。
ようは、
真面目かつノリで
気丈でありながら肩の力を抜いていこう!
そうゆうことなんですかね。
モノづくりに境界線などありませんから。
<<あっあっ終わった!?>>
私は文章考える際にノートに書く癖がありまして、
今まさにYRcafeという犬山のカフェでモーレツにペンを走らせていたら
隣の女性がモーレツに私の方を見て引いていたので、
<<>>にその人の気持ちも書いておきました。。。
一人カフェはやっぱり恥ずかしいなぁ。。。

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